マスターからの書き下ろしが届きました
今回は仰げば尊しをBGMに読み進めてくださいませ
こんばんは(^^)
この度は私個人の事で皆さんが楽しみに待ってくれている
オープンヒーリングを延期していただくことになったこと
心からごめんなさいを伝えたくて書き下ろしします。
ここ三日間で二つの大きな節目を経験しました。
一つは愛娘 令佳の高校卒業式です。
山あり谷ありの履正社での6年間…
本人もたくさんの経験を乗り越えるために
努力をしてくれましたが私に取っても本当に母親として
ノブとは違う子育てに本当に頑張りました。
彼女が入場してきたところから最後に退場するまで
たくさんの涙と一緒にいろいろな思い出がよみがえり
長いようで短い高校生活最後の彼女の制服姿を
目に焼き付けながらここまで成長してくれた感謝の思いと
ここまで私なりにサポートできた事を喜びながら
一緒に「仰げば尊し」を歌い卒業を噛みしめました(^^)
卒業生が各教室に戻り
担任の先生と最後のホームルームを
すると言うことでそれぞれ教室に戻りました。
その時に電話が入りました。
「今 どこ」
「えっ 令佳の卒業でまだ学校やけど?」
「もうあかんかもしれん…来てやってくれ…早く…」
そうなんです。
もう一つの節目とは
去年12月31日から肺炎をこじらせて
持病の喘息がひどくなり
肺に水がたまってしまって入院しているお義父さんの事です。
昨日の夜中から容態が優れないと…
皆さんにはいつもお話させていただいてる
ノブと令佳のおじいちゃんです(^^)
私に取ってはお義父さんなんですが
縁があって嫁いだ先は在日韓国人であったことから
日本人を棄てて韓国人として生きることを決意した私の事を
誰よりも守り
国籍や環境を超えた人間愛で
私を大切にしてくれ 支えてくれた「お父ちゃん」なんです。
私自身お父ちゃんとの別れがいつ来ても後悔しないように
毎日必ず病院には顔を出していました。
意識がなくてもあっても
「お父ちゃん どう⁇早く元気なってや(^^)」
「また来るからね」と声をかけて帰る事をしていましたが
今回の入院は初日からかなり悪かったのか
意識が朦朧とするときと
まるで元気な頃に戻ったみたいに調子のいい時があったりと
本当に毎日が綱渡りの状態でした。
そして24日…
私自身 私の到着をずーっと待ってるのは確信していたので
「私が行くまでは死なないから大丈夫‼️」
ってなんの根拠もなしで言い放ち
病院に向かいました。
病室に入るともう体の機能が低下して
旅立ちの準備が始まっていました…
たくさんの身内がいる中の
ましてや全く私一人が赤の他人なのに
最後の最後まで「珠美…珠美…」と私を探したと…
私に大原と言う名前を授けてくれた人…
旦那がどうしようもない事が申し訳ないと
旦那以上にノブを愛し大切にしてくれて人…
私がノブと死のうと決めてとどまれたのもお父ちゃんがいたから…
そしてお父ちゃんが14歳の時に韓国から来て
どんな人生を歩み
どれだけの苦労をくぐり抜け
今92歳と言う年齢を迎えたかと言うのは
実の子供たちにも話したがらなかった
きっと私しか知らないお父ちゃんの生きた記録…
そして生前いつもいつも
「お父ちゃんはがっこ行ってないから字が書けないから…
がっこ行きたかった^ ^」
と言っていたお父ちゃんのために
みなさんにまたオープンヒーリングでお話聞いてもらうからね(^^)
頭の中の記憶を一つ一つ整理して
お父ちゃん お疲れ様です。
今日はお父ちゃんのためにも「仰げば尊し」を歌ったよと思った瞬間…
心拍がだんだん弱くなり
まるで眠るように…永眠しました。
92歳
肺炎 肺気腫 喘息 心不全 がありながらまるで眠るように…
お父ちゃん…ありがとうやで(^^)
本当にありがとう^ ^
ゆっくりお休みしてね(^^)
私の心の師 今は別れですがまた、逢える日まで…
必ずまた探すから…
お父ちゃんが私だとわからなくても…
もう一度また逢おうね…
その日まで…さよなら…
たくさんのお数珠ちゃんファミリーからエネルギーと
熱い想いをたくさん送ってもらいました。
本当にありがとうございます。
次回オープンヒーリングを
早いうちに発表しますので楽しみに待っていてくださいね。
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